明けない夜はない。朝日はあなたの苦しみを溶かしてくれる。


そんなことをよく思っていたのは、

まだ離婚する前のことだ。

 

* * *

 

僕が結婚をした相手は、

お父さんと同居していた。

 

尊敬していたお母さんを亡くし、

「お父さんをよろしく頼むね」との一言から

お父さんの面倒を看るために一緒に住んでいた。

 

そのことを知った僕は、

彼女の気持ちに応えるために

義父と同居することを決めた。

 

しかし、

僕は義父と馬が合わなかった。

 

世の中に精通しているように話すのだけれど、

僕にとっては「何でそんなことを偉そうに話すのだろう?」

どのように返事していいか分からないことばかりだった。

 

たとえば、

 

「信号は赤、黄色、青の三色で、

 止まったり進んだりするんやで!」

 

新発見した時のように自信満々に話をされても

「そうですか…」としか答えられないような感じと

喩えてみたらわかるだろうか?

 

僕はどう答えていいか分からなかったし、

おべんちゃらを言う気持ちもなかった。

 

「お前は俺と話しない」

 

金銭がらみのもめ事も重なり、

どんどんと義父との関係は冷えていくばかりだった。

 

それに同時進行して、

元嫁との関係も次第に悪くなっていった。

 

 

元嫁との関係が悪くなっていったのは、

僕の未熟な思考も関係しているので

仕方がないと思うところはあると思うものの、

 

家に戻るのが苦しく、

いつも居場所がない苦しさを感じていた。

 

特に、

夜は悪い感情が頭をかけめぐり、

底なしの泥沼のなかでひたすらかき回される。

 

眠りに落ちることができれば

どれだけ楽になることだろうか?

 

でも、

眠りに落ちることのないまま、

朝を迎える。

 

当時の僕は百姓をしていて、

文字通り日の出前から日の入り後まで

ずっと田畑に出ていた。

 

夜が明けてくるころに

布団から頭を引きはがすようにして起き、

田んぼで日の出を迎える。

 

するとどうだろう。

 

あれだけ悶えるほどまとわりついていた苦しみが、

朝日にあたるとすっかりと溶けて

なくなってしまうのだ。

 

朝日の輝きが、

再び生きる気力を僕に取り戻してくれるのだ。

 

* 

 

数年後、僕は離婚した。

 

子どもたちとも別れてしまったのは

今でもとても悲しいことだけど、

離婚後、新しいパートナーができた。

 

元嫁が全否定をした僕を

新しいパートナーは肯定してくれる。

 

仕事が終わってから帰る家は、

「自分の居場所だ」と確かに感じられる場所になった。

 

夜は明けたのだ。

 

* * *

 

もしあなたが

何かで苦しい想いを持ち続けているとしても、

心配しなくてもいい。

 

地球が自転を続けているかぎり、

もがきながらもあなたが生き続けているかぎり、

 

必ず、夜は明ける。

朝日は昇る。

 

僕は

あなたの苦しみが溶ける日が来ることを

心から祈っている。