世界には、まだ自分の知らないワクワクであふれている

 

僕は小さい時から音楽が大好きだった。

 

小学生のリコーダー発表の時、

あまりに気持ちよくて左右に揺れながら吹いて

同級生から笑われた.

 

作曲の課題が出たとき、

スラスラとメロディーが浮かんできたので

(天才かと思った)

 

自信満々で発表したら

それはドラえもんのテーマそのもので

みんなから笑われた。

 

それでも音楽は嫌いにならなかった。

 

中学に入ってからは

洋楽やヘヴィーメタルが好きになって

ラジオから流れてくるひとつひとつの音楽を

大切に聴き込んでいた。

 

高校に入ってからは

ベースを買ってバンド活動を始めたし、

 

片想いをしていた女の先輩に影響されて

ジャズも聴くようになった。

 

残念ながら

その先輩には全く振り向いてもらえなかったけど、

ジャズのリリカルでスリリングなスタイルは、

すっかり僕の人生の一部になっていった。

 

大学に入ってからは

授業をそっちのけで

もう完全に音楽中心の生活。

 

ジャズライブバーで

アルバイトをしていたし、

 

手先が器用だった僕は、

難しい曲はあいつに、と

いろんなバンドからヘルプを頼まれたおかげで、

僕の興味以外の音楽にも触れることになった。

 

その後、

プロのミュージシャンは諦めてしまい、

バーテンダーになった。

 

でもバーには音楽が必要。

BGMとして音源探しの日は続く。

 

そのときには

ソウルミュージックも好きになった。

 

でも、

バーを辞めて米作りを志すようになってから

僕の音楽開発の日々は終わりを告げた。

 

移住とともにバンド活動は中止したし、

田舎には満足するCDショップもなかったから。

 

 

そして十数年後、

離婚を機に関西から信州に移住してからは、

ラジオすら聴かなくなってしまっていた。

 

信州の方には非常に申し訳ないのだけれど、

信州のラジオ番組は音楽もトーク

ウィットや粋のかけらひとつ感じられない。

 

ファンキーさもまったくない。

(信州の方ごめんなさい)

 

別居した子どもたちに逢うため関西に行く、

その時のカーラジオの前でだけ、

僕は過去の自分と今の自分をつなげることができる。

 

耐えかねた僕は

移住してから二年後に、ようやく

全国のラジオ番組を聴くことができる有料アプリを

使うことにした。

 

するとどうだろう、

 

スピーカーの向こうから

僕の求めていたサウンド

いまの僕の日常にこぼれだしてきた。

 

初めて聴く曲なのに

心が広がるサウンド

 

僕の日常は

一気にきらめきを帯びた。

 

今、僕は少しずつ

ファンキーな人生を取り戻しつつある。

 

* * *

 

僕が言いたいのはここからだ。

 

行き詰まっていたり、

思い悩んでいたり、

マンネリに陥っていたりしても、

 

自分が心から望む周波数に

チャンネルを合わせてみたら、

 

今まで知らなかったワクワクが

まだ広がっているかもしれないということだ。

 

この世界、

まだまだ捨てたものではない。

 

だから、

 

どんなことがあっても

諦めてはいけない。

 

あなたがいつも幸せでいられることを

僕は心から応援している。

 

 

 

豊かさ、自由、のんびり。

 

これらはもう、、、

僕の望みだ。

 

いつもこんな状態でありたい

という望み。

 

僕は一日の中で少しでも

この3つの状態でいられるよう

心がけている。

 

 

<豊かさ>

 

豊かさっていうと、

つい金銭的なことばかり想像してしまいがちだけど、

案外そうでないことも多い。

 

美味しいものをたくさん食べたい、

いい家に住みたい、

いろんなところに旅行したい…

 

私たちの望みは、

お金がないと何もできないと思いがちだけど、

 

農家や漁師など食べ物を作っている人や

料理のうまい人が友人にいれば、

美味しいものをたくさん食べられる機会に恵まれたりするし、

 

ステキな家に住んでいる知人が、

転勤のためどこかに行ってしまうから

管理がわりに住んでくれない?

なんていうこともある(実際にあった)。

 

旅行だって、

何かに当選していくことができるかもしれないし、

仕事で呼んでくれる場合もあるかもしれない。

 

道端の小さな花が、

あなたに向かってくっきり咲いているのを見ても、

暖かい布団の中でまどろんでいるときも、

豊かさを感じることができる。

 

お金は自分の望みをかなえる中間手段の一つであって、

お金がたくさんあることだけが豊かではない。

 

自分はどんな豊かさを体験したいのか?

それをしっかりと知っておきたい。

 

 

<自由>

 

ある人が、

「起きたい時の起き、食べたい時に食べる、

 そんな自由すらもないのが今の多くの人たちだ」

と言っていたのを思い出す。

 

たしかにそのとおり。

 

仕事があるからといって、

眠たい目をこすりながら無理やり起きたり、

 

お腹がすいていないときでも、

お昼だからという理由でご飯を食べる。

 

こんな基本的なことですら、自由ではないし、

当たり前すぎて、このことが不自由であることも感じない。

 

「好きなことを、好きな時に、好きなだけする」

 

今ではまだこんな風にできないことが多いけど、

少しずつ、日々を整えていきたい。

 

 

<のんびり>

 

バーテンダーをしていた時も、

農家をしていた時も、

僕はとっても忙しかった。

 

朝早くから夜遅くまで
(バーテンダ―の時は、昼早くから朝遅くまで、だけど…)

しなければいけないことに追われていた。

 

今が頑張り時。

この仕事が軌道に乗ったら、

のんびり過ごせるから。

 

そう思って頑張るのだけれど、

いつまでたってものんびり過ごせる時期が来るとは

到底感じられなかった。

 

稲刈りの朝なんて、
家の中を走り回って準備をしていた時、

さすがに「これは異常ではないか?」
と疑問を感じるようになった。

 

その後離婚をして

シェアハウスに一時お世話になっていた時、

のんびりしたい僕の願望は鮮明になった。

 

朝、みんながゆっくりとコーヒーを飲み、

美味しいパンを食べ、楽しく語らった後に、

一日をスタートさせるのだ。

 

家の中を走り回っていた僕には

衝撃の事実だった。

 

「こんなにゆったりしている人たちがいる」

「何かが違う」

「この人たちにできるのなら僕にも何か方法はあるはずだ」

 

当時の忙しさは変わらなかったので、

とりあえず早起きして

ゆっくりコーヒーを飲む時間を30分、

無理やり作ってみた。

 

すごく気持ちがいい。

 

それからは、

この時の体感を思い出しながら、

時間がないと思える時も

急がないようにした。

 

すると、

間に合わない、と思っていたことが

時間内にスルッと終わってしまったり、

間に合わなくても10分程度で収まることが

わかってきた。

 

時間は伸び縮みするのかもしれない。

時間を少し信頼できるようになってきた。

 

最近では

100人単位で集まるイベントの朝でも

ゆっくりとコーヒーを飲んで

出かけられるようになった。

 

まだ、

のんびり一日を過ごす時間が持てていないけど、

この延長上に、仕事をまるっきりせずゆったり過ごせる一日が

増えてくるのではないかと期待している。

 

 

 

 

 

 

 

明けない夜はない。朝日はあなたの苦しみを溶かしてくれる。


そんなことをよく思っていたのは、

まだ離婚する前のことだ。

 

* * *

 

僕が結婚をした相手は、

お父さんと同居していた。

 

尊敬していたお母さんを亡くし、

「お父さんをよろしく頼むね」との一言から

お父さんの面倒を看るために一緒に住んでいた。

 

そのことを知った僕は、

彼女の気持ちに応えるために

義父と同居することを決めた。

 

しかし、

僕は義父と馬が合わなかった。

 

世の中に精通しているように話すのだけれど、

僕にとっては「何でそんなことを偉そうに話すのだろう?」

どのように返事していいか分からないことばかりだった。

 

たとえば、

 

「信号は赤、黄色、青の三色で、

 止まったり進んだりするんやで!」

 

新発見した時のように自信満々に話をされても

「そうですか…」としか答えられないような感じと

喩えてみたらわかるだろうか?

 

僕はどう答えていいか分からなかったし、

おべんちゃらを言う気持ちもなかった。

 

「お前は俺と話しない」

 

金銭がらみのもめ事も重なり、

どんどんと義父との関係は冷えていくばかりだった。

 

それに同時進行して、

元嫁との関係も次第に悪くなっていった。

 

 

元嫁との関係が悪くなっていったのは、

僕の未熟な思考も関係しているので

仕方がないと思うところはあると思うものの、

 

家に戻るのが苦しく、

いつも居場所がない苦しさを感じていた。

 

特に、

夜は悪い感情が頭をかけめぐり、

底なしの泥沼のなかでひたすらかき回される。

 

眠りに落ちることができれば

どれだけ楽になることだろうか?

 

でも、

眠りに落ちることのないまま、

朝を迎える。

 

当時の僕は百姓をしていて、

文字通り日の出前から日の入り後まで

ずっと田畑に出ていた。

 

夜が明けてくるころに

布団から頭を引きはがすようにして起き、

田んぼで日の出を迎える。

 

するとどうだろう。

 

あれだけ悶えるほどまとわりついていた苦しみが、

朝日にあたるとすっかりと溶けて

なくなってしまうのだ。

 

朝日の輝きが、

再び生きる気力を僕に取り戻してくれるのだ。

 

* 

 

数年後、僕は離婚した。

 

子どもたちとも別れてしまったのは

今でもとても悲しいことだけど、

離婚後、新しいパートナーができた。

 

元嫁が全否定をした僕を

新しいパートナーは肯定してくれる。

 

仕事が終わってから帰る家は、

「自分の居場所だ」と確かに感じられる場所になった。

 

夜は明けたのだ。

 

* * *

 

もしあなたが

何かで苦しい想いを持ち続けているとしても、

心配しなくてもいい。

 

地球が自転を続けているかぎり、

もがきながらもあなたが生き続けているかぎり、

 

必ず、夜は明ける。

朝日は昇る。

 

僕は

あなたの苦しみが溶ける日が来ることを

心から祈っている。