豊かさ、自由、のんびり。

 

これらはもう、、、

僕の望みだ。

 

いつもこんな状態でありたい

という望み。

 

僕は一日の中で少しでも

この3つの状態でいられるよう

心がけている。

 

 

<豊かさ>

 

豊かさっていうと、

つい金銭的なことばかり想像してしまいがちだけど、

案外そうでないことも多い。

 

美味しいものをたくさん食べたい、

いい家に住みたい、

いろんなところに旅行したい…

 

私たちの望みは、

お金がないと何もできないと思いがちだけど、

 

農家や漁師など食べ物を作っている人や

料理のうまい人が友人にいれば、

美味しいものをたくさん食べられる機会に恵まれたりするし、

 

ステキな家に住んでいる知人が、

転勤のためどこかに行ってしまうから

管理がわりに住んでくれない?

なんていうこともある(実際にあった)。

 

旅行だって、

何かに当選していくことができるかもしれないし、

仕事で呼んでくれる場合もあるかもしれない。

 

道端の小さな花が、

あなたに向かってくっきり咲いているのを見ても、

暖かい布団の中でまどろんでいるときも、

豊かさを感じることができる。

 

お金は自分の望みをかなえる中間手段の一つであって、

お金がたくさんあることだけが豊かではない。

 

自分はどんな豊かさを体験したいのか?

それをしっかりと知っておきたい。

 

 

<自由>

 

ある人が、

「起きたい時の起き、食べたい時に食べる、

 そんな自由すらもないのが今の多くの人たちだ」

と言っていたのを思い出す。

 

たしかにそのとおり。

 

仕事があるからといって、

眠たい目をこすりながら無理やり起きたり、

 

お腹がすいていないときでも、

お昼だからという理由でご飯を食べる。

 

こんな基本的なことですら、自由ではないし、

当たり前すぎて、このことが不自由であることも感じない。

 

「好きなことを、好きな時に、好きなだけする」

 

今ではまだこんな風にできないことが多いけど、

少しずつ、日々を整えていきたい。

 

 

<のんびり>

 

バーテンダーをしていた時も、

農家をしていた時も、

僕はとっても忙しかった。

 

朝早くから夜遅くまで
(バーテンダ―の時は、昼早くから朝遅くまで、だけど…)

しなければいけないことに追われていた。

 

今が頑張り時。

この仕事が軌道に乗ったら、

のんびり過ごせるから。

 

そう思って頑張るのだけれど、

いつまでたってものんびり過ごせる時期が来るとは

到底感じられなかった。

 

稲刈りの朝なんて、
家の中を走り回って準備をしていた時、

さすがに「これは異常ではないか?」
と疑問を感じるようになった。

 

その後離婚をして

シェアハウスに一時お世話になっていた時、

のんびりしたい僕の願望は鮮明になった。

 

朝、みんながゆっくりとコーヒーを飲み、

美味しいパンを食べ、楽しく語らった後に、

一日をスタートさせるのだ。

 

家の中を走り回っていた僕には

衝撃の事実だった。

 

「こんなにゆったりしている人たちがいる」

「何かが違う」

「この人たちにできるのなら僕にも何か方法はあるはずだ」

 

当時の忙しさは変わらなかったので、

とりあえず早起きして

ゆっくりコーヒーを飲む時間を30分、

無理やり作ってみた。

 

すごく気持ちがいい。

 

それからは、

この時の体感を思い出しながら、

時間がないと思える時も

急がないようにした。

 

すると、

間に合わない、と思っていたことが

時間内にスルッと終わってしまったり、

間に合わなくても10分程度で収まることが

わかってきた。

 

時間は伸び縮みするのかもしれない。

時間を少し信頼できるようになってきた。

 

最近では

100人単位で集まるイベントの朝でも

ゆっくりとコーヒーを飲んで

出かけられるようになった。

 

まだ、

のんびり一日を過ごす時間が持てていないけど、

この延長上に、仕事をまるっきりせずゆったり過ごせる一日が

増えてくるのではないかと期待している。